「イースタリンのパラドックス」:幸福になれる年収と労働時間のバランスとは… 前編
- 2025.1.15
- ノーベル経済学賞
イースタリンのパラドックス
あなたはボーナスを受け取ったり、昇給することに幸せを感じますか?
その幸福感は一時的に感じても、意外とすぐに薄れてしまうものです。
特に、周りの人々も同様に年次報酬アップの恩恵を受けていると、その喜びはさらに小さく感じられるかもしれません。
もし、収入の増加が長期的には幸福感を大きく向上させないと感じるのであれば、それは「イースタリンのパラドックス」を裏付ける一例と言えるでしょう。
この経済理論は、「お金は長期的に見て幸福を買うことはできない」という考え方に基づいています。

(Richard A. Easterlin、1926年1月12日 – 2024年12月16日)
このパラドックスを提唱したのは、リチャード・A・イースタリン氏です。
イースタリン氏は、幸福経済学(Economics of Happiness)の創設者として知られるアメリカの経済学者・人口統計学者です。
イースタリン氏は2024年12月16日、カリフォルニア州パサデナの自宅にて98歳で亡くなりました。
イースタリン氏の研究は、経済成長と人々の幸福感との関係についての従来の考え方に挑戦し、経済学、社会科学、政策研究に大きな影響を与えました。
彼の研究は、「社会の経済成長が人々の幸福感を総合的に向上させる」という一般的な考え方に疑問を投げかけるものであり、それは、これまでの常識や経済学の基本原則への挑戦でした。
それまで、経済学者や政策立案者、国民は、国の国内総生産(GDP)が増加すれば、人々の幸福も向上すると信じていました。
イースタリン氏の研究:1974年
イースタリン氏は、1970年代ペンシルベニア大学での研究を通じて、第二次世界大戦後にアメリカの収入が劇的に増加したにもかかわらず、調査によってアメリカ人の幸福感はほとんど向上していないことを示しました。

(1958年を100としたときの推移のグラフ)
出典:https://united-states.reaproject.org/analysis/comparative-trends-analysis/per_capita_personal_income/tools/0/0/
また、日本でも同様の結果が得られました。
戦後の復興を経て世界でも裕福な国となった日本では、1958年から1987年にかけて国民の平均収入が5倍に増加しましたが、日本人もまた「幸福になった」とは感じていないことが調査で明らかになりました。

(単位は千円)

イースタリン氏は、1974年の論文「Does Economic Growth Improve the Human Lot?」(経済成長は人間の暮らしを改善するのか?)でこの逆説を提起しました。
まず、ある国のある時点をとってみると、所得の高い人は、所得の低い人よりも幸福度が高いと言えます。
その意味では、所得が高いほうが望ましいこととなります。
しかし国際比較をすると、豊かな国と貧しい国の幸福度の差は、一国内の幸福度の差よりも小さく、つまり幸福度の問題は、一国内の相対的な所得差の問題であることが示されました。
また、イースタリン氏は次のようなパラドックスを発見しました。
米国の幸福度調査で、「大変幸福である」と答えた人の割合は、1946年から1957年にかけて上昇したものの、1963年から1970年にかけて低下したという事実です。
豊かな社会の到来とともに、米国では所得の上昇が、かえって幸福度の低下を招くようになったのです。
イースタリン氏の研究:1995年
このパラドクスについてイースタリン氏は、1995年の論文「Will raising the incomes of all increase the happiness of all?」(すべての人の収入を上げることで、すべての人の幸福度は上がるのか?)でさらに検討しました。
イースタリン氏は、米国、欧州9カ国、日本(計11カ国)を対象に、所得と幸福度の長期的な関係を調査しました。
その結果、米国と日本では、所得が増えても幸福度は上昇していないことが判明しました。米国と日本では、所得の上昇は統計的に有意なかたちで幸福度に影響を与えていなかったのです。
また欧州では、五つの国で同様の結果となり、二つの国で正の相関(あるデータの値が高くなると、もう一方のデータの値も高くなる傾向がある)が見られ、残り二つの国では負の相関が見られました。
以上の結果から、イースタリン氏は、世界の長期的なトレンドとしては、所得が増えても幸福度は上昇しないと結論付けました。
これが「イースタリンのパラドックス」です。
⬇️後編へ続く⬇️
ノーベル経済学賞受賞者の解説もしています!
⬇️気になった方は読んでみてください!⬇️
~イースタリン氏の経歴~
1926年1月12日:アメリカ合衆国ニュージャージー州リッジフィールドパークに生まれる
1945年: スティーブンス工科大学で機械工学の学位を取得
1949年:ペンシルベニア大学で経済学に転向し、修士号を取得
1953年:経済学博士号を取得
南カリフォルニア大学(USC)の経済学教授として長年勤務
2024年12月16日:逝去
~役職・フェローシップ~
1970–1971年: 行動科学高等研究センターのフェロー
1978年: アメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選出
1980–1981年: カリフォルニア工科大学のシャーマンフェアチャイルド特別研究員
1983年: 計量経済学会のフェローに選出
1986–1997年: 経済史協会の代表として全米経済研究所の理事会に任命
1988–1989年: ジョンサイモングッゲンハイム記念財団のフェロー
2006年: アメリカ経済学会の優秀フェローに選出
~主な受賞歴~
1987年: 南カリフォルニア大学でバーリントン北部教員功績賞を受賞
1988年: 南カリフォルニア大学でラウベンハイマー教育研究賞を受賞
1989年: ジョンサイモングッゲンハイム記念財団からアイリーンB.タウバー賞を受賞
1993年: アメリカ人口協会から名誉博士号を授与
1998年: スウェーデンのルンド大学から名誉博士号を授与
2006年: 南カリフォルニア大学教育卓越センターからメンタリングにおける卓越性を称えるメロン賞を受賞
2006年: 国際生活の質研究協会から優秀研究者賞を受賞
2009年: 労働経済学のIZA賞を受賞
2010年: 国際人口科学連合から受賞者賞を受賞
~主な論文~
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“Does Economic Growth Improve the Human Lot? Some Empirical Evidence” (1974)
この論文で、イースタリン氏は「イースタリンのパラドックス」を提唱し、経済成長と人々の幸福度の関係性を分析しました。 -
“Income and Happiness: Towards a Unified Theory” (2001)
この研究では、所得と幸福の関係についての統一理論を目指し、主観的幸福度に影響を与える要因を探求しています。 -
“Explaining Happiness” (2003)
この論文では、幸福の決定要因を分析し、経済的要因だけでなく、社会的および心理的要因の重要性を強調しています。 -
“The Worldwide Standard of Living since 1800” (2000)
この研究では、1800年以降の世界的な生活水準の変化を分析し、経済発展と生活の質の関係を考察しています。 -
“Growth Triumphant: The Twenty-first Century in Historical Perspective” (1996)
この著作では、20世紀の経済成長を歴史的視点から分析し、21世紀の展望を示しています。
参考サイト:さくらフィナンシャルニュース
Richard A. Easterlin, ‘Father of Happiness Economics,’ Dies at 98
United States Comparative Trends Analysis:
Per Capita Personal Income Growth and Change, 1958-2023