東京都知事選の歴史~中央政界へも影響を及ぼす選挙結果と都政運営~
- 2024.7.16
- 国内・政治
有権者数1153万人と全国の有権者の10%余を占める東京都。その東京の有権者が下した審判は、その後の国政選挙結果・中央政界への動きにもこれまで波及してきた歴史があります。今回は、都知事選の結果がその後の国政選挙・中央政界に波及した事例を取り上げます。
(1)1967年:美濃部亮吉氏~「革新都政」~
1967年4月15日、美濃部亮吉氏(社会党・共産党推薦)が、松下正寿氏(自民党・民社党推薦)や阿部憲一氏(公明党推薦)らを破り、社会党と共産党が与党となるいわゆる「革新都政」が誕生しました。
65年に相次いで発覚した都議会の不祥事いわゆる「黒い霧」事件や高度経済成長のひずみとなる公害問題が各地で噴出したことなどが美濃部「革新都政」誕生の理由として挙げられます。
以後、71年の大阪府・黒田了一知事、72年埼玉県・畑和知事をはじめ、全国で革新自治体・首長が誕生していきます。
また、国政選挙においても72年12月に行われた衆議院選挙で社会党が31議席(87から118)・共産党が24議席(14から38)とそれぞれ議席を伸ばし、国会内でも社会党と共産党が連携してことになりました。
(2)1979年:鈴木俊一氏~「自民党・公明党協力」体制~
1979年4月8日、元内閣官房副長官の鈴木俊一氏(自民党・公明党・民社党・新自由クラブ推薦)が、元総評議長・太田薫氏(社会党・共産党など推薦)らを破り当選しました。自民党と公明党が協力する体制が確立し、以後の都政運営に要となっていきます。
国政においても、88年消費税法案はじめ自民党と公明党の協力体制、そして99年の自民党と公明党の連立政権へとつながる一因にもなりました。
また、鈴木知事は就任後、いち早く職員の減員などいわゆる「行政改革」も後の中曽根康弘内閣が行った電電公社(現・NTT)や国鉄(現・JR)などの民営化とも通じる点があります。
(3)1995年:青島幸男氏~「無党派層」の出現~
阪神淡路淡路大震災や地下鉄サリン事件発生後の選挙となり、鈴木都政が推進してきた箱
物行政の象徴的存在である世界都市博覧会、東京臨海副都心開発の処遇が大きな焦点にな
りました。
1995年4月9日、ほとんど選挙運動を行わなかった青島幸男氏が、元内閣官房副長官の
石原信雄氏(自民党・社会党・公明推薦、さきがけ支持など)らを破りました。同日に行われた大阪府知事選に当選した横山ノック氏とともに既成政党の推薦や支持を受けずに
当選したことから、既成政党批判・国政政党への不信感の表れ=「無党派層」の出現と話題になりました。
また、青島氏以降の都知事は、知事就任前後に衆議院か参議院の国会議員を経験しています。
青島氏は、臨海副都心地区で開催が予定されていた鈴木氏肝煎りの世界都市博覧会の中止を公約に掲げ、公約通り中止を決定しましたが、その後は特に目立った政策の実現はありませんでした。
(4)1999年:石原慎太郎氏~「現実化する危機に立ち向かう」~
青島知事の去就が注目されましたが、立候補を見送りました。このため、各党が候補者選びを行いましたが、1999年4月11日、石原慎太郎氏が、鳩山邦夫氏(民主党推薦)、舛添要一氏、明石康氏(自民党・公明党推薦)らを破り、75年選挙のリベンジを果たし当選しました。バブル景気の崩壊による財政危機、首都機能移転論、ダイオキシンに代表される公害問題などが争点化しました。
知事就任後の石原氏は「東京から日本を変える」と宣言し、高い発信力で大きな影響をもたらしました。財政再建団体転落の危機にあった都の財政再建に取り組んだのをはじめ、ディーゼル車規制や銀行への外形標準課税導入など、自民党や公明党だけでなく民主党の賛成を得ながら施策も展開しました。
また、五輪招致、外郭環状道路の凍結解除や羽田空港の国際化など、現在の首都・東京を築く基盤整備を進めました。
97年の日米新ガイドライン(日米防衛協力の指針)、98年の周辺事態法が制定され、石原知事自身が米国出張時に発生した2001年の「米国911テロ」を受け、03年6月には武力攻撃事態法が民主党も賛成して成立しています。
一方、小泉純一郎首相は、在任中の2001年から06年、毎年、靖国神社を参拝しています。石原氏自身の靖国神社への参拝、尖閣諸島の購入表明などで批判も浴び、歯に衣着せぬ発言が物議を醸すこともありました。以 上
筆者 平木雅己(ひらきまさみ)選挙アナリスト
元NHK社会部記者。選挙報道事務局を長く勤め情勢分析や出口調査導入に尽力。小選挙区制度が導入された初めての衆議院議員選挙報道ではNHK会長賞を受賞。ゼネ
コン汚職事件、政治資金の不正など政治家が関わる多くの事件・疑惑も取材。
その後、連合(日本労働組合総連合会)事務局にて会長秘書(笹森清氏)として選挙
戦略の企画立案・候補者指導を担当、多くの議員の当選に尽力した。
政策担当秘書資格取得後、法務大臣/自民党幹事長代理はじめ外務大臣政務官、衆参国会議員政策秘書として、外交・安全保障、都市計画、防災、司法、治安、雇用・消費者、地方自治などの委員会や本会議質問を作成、政策立案に携わる。