【弁護士ログニュース=7月6日】江尻隆弁護士が20年愛人との関係を説明する陳述書を提出
- 2015.7.6
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江尻隆弁護士が、20年愛人との関係を説明する陳述書を乙39号証として提出したので、以下に掲載します。
乙第39号証
陳述書
平成27年7月6日
東京地方裁判所民事第30部 御中
住所 東京都新宿区**********
氏名 江尻 隆 印
第1 経歴等
私は、昭和42(1967)年に東京大学法学部を卒業して、同44(1969)年に弁護士となり、同45(1970)年にハーバード大學ロースクールを卒業して、同46(1971)年に帰国し、日本でアンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所に入所していましたが、同52(1977)年に、1期上の弁護士に誘われて、共同で「桝田江尻法律事務所」(以下「本件事務所」といいます)を創立しました。
本件事務所は、その後他の法律事務所との複数回の合併に伴い名前が変わりましたが(桝田江尻法律事務所→あさひ法律事務所→あさひ・狛法律事務所→あさひ法律事務所→西村あさひ法律事務所)、私は、今でもそこに所属しています。
第2 原告の本件事務所入所から退所まで
1 本件事務所入所まで
原告(以下「森先生」といいます)と初めて会ったのは、昭和63(1988)年11月頃、外債案件でだったと記憶しています。そのころ本件事務所は、パートナーが10名弱、アソシエートが10名弱の事務所であって、欧米型ローファームを志向するいわいる渉外事務所でした。そして当時、森先生は、友常木村見富法律事務所(旧称は小松友常法律事務所であり、当時は小松綜合法律事務所と別れて友常木村見富法律事務所になっていましたが、弁護士10数人が所属していたと思われます)の勤務弁護士でした。
その後平成2(1990)年ころ、森先生からニューヨーク留学が決まり、留学後の就職先として、本件事務所に入所したいという相談が持ちかけられましたので、私は、本件事務所のパートナー会議に諮った上で、森先生の留学後に入所を認める旨のパートナー会議の決定結果を森先生に伝えました(そのときのパートナー会議の議事録が乙19の1・2です)。
なお、留学する弁護士は、ロースクールを卒業した後、研修のため現地の法律事務所にて1年程度勤務するのが標準的ですが、森先生は、自力で研修先を見つけられず(注・研修先となる法律事務所は給与支払いもしなければならないので、親しくない場合には受入れないためです)、これも相談があったので、(入所前の森先生への良い研修機会と思い)本件事務所が懇意にしていたRogers&Wells法律事務所に打診して、短期であればという条件で、森先生の研修を受け入れてもらったということもありました。
この点、森先生は、留学後の転職先が本件事務所ではなく別の事務所であったとか、その事務所から研修先を紹介してもらうことになっていたなどと主張しているようですが、事実に反します。
2 森先生の本件事務所入所後
(1)森先生は、平成3(1991)年11月に帰国し、本件事務所に入所して勤務を開始しました。
なお、ここで一言述べておきますが、本件事務所にひどい男女差別があったとか、アソシエートがパートナーに搾取されているかのような森先生の準備書面の記述は全くの事実無根です。本件事務所は弁護士もスタッフも全員英米のローファームのような民主的な経営体制で規模を拡大する覚悟で、その雰囲気は、乙1をご覧いただくとよくわかると思いますが、家族的で、所属する者どうし仲良く付き合うような事務所でした。
森先生の入所後まもなく、私は記憶は定かではないですが、森先生と霞が関ビルの地下の和食屋に行ったようです。ここは私が事務所の者とよく利用していた店で、私としてしては、他のパートナーに推薦した森先生が本件事務所にうまく溶け込むように、入所後の様子をきくためだったと思います。
森先生は、このとき、私が森先生に結婚を申し込んだなどと主張していますが、事実無根です。この時も、それ以降も、森先生に結婚を申し込んだことは一度もありません。そもそも森先生との間で結婚の話が出たこともありません。
付言しますと、森先生から、クライアントその他の誰かから、交際を申し込まれたとかプロポーズされたなどという話を聞いたこともなく、私がそれに対してコメントしたということも記憶にありません。
(2)森先生が私と海外に旅行をしたなどと主張している件については、あたかも読む人のプライベートな旅行だったと推測させるような故意に曖昧な表現を使っているようですが、いずれも仕事上のもので、他の弁護士などが一緒でした。この点について少し説明しますと、日本の渉外大手の弁護士らが立ち上げたアジア中心の弁護士の国際会議として、IPBA(環太平洋弁護士協会)というものがあったのですが、私は、平成7(1995)年から同10(1998)年まで事務総長をしていましたのでその間は毎年参加していました(なお、私はIPBAの理事であったことはありません)。ところで、森先生は、本件事務所入所当時は日本企業の外債発行案件を専門としていましたが、資本市場の動向に左右され、折からのバブル崩壊とその後の景気低迷により外債発行案件が少なくなり、業務多様化のため倒産分野に力を入れることとしたため(景気が悪くなると金融分野は下向きになり倒産分野は上向きになるなど相互補完関係にあります)、私は、倒産分野で著名な弁護士で旧知の三宅省三弁護士に、森先生への力添えをお願いしました。そのため、三宅省三弁護士は、森先生に対して、東京弁護士会の倒産部会への入会を勧め、東京地方裁判所の破産部に口添えをしたほか、英語ができる国際倒産弁護士とすべく国際的倒産ネットワークに森先生を入れてその存在感を高めるために、IPBAに倒産法委員会(Insolvency Committee)を創設し、森先生に同委員会の運営にもかかわらせるなど、かなり引き立てて頂きました。三宅省三弁護士が森先生を引き立てたのは、最初は私が依頼したためであったと思いますが、森先生自身の頑張りもあったと思います。その結果、森先生は、平成9(1997)年に、IPBAの倒産法委員会の副委員長に推薦されるなど、短期間のうちにその分野で人的関係を拡大できました(乙5の1~4、三宅省三弁護士と森先生とのファックスのやりとり、乙6 森先生の弁護士紹介(倒産法を一専門分野としていること))。そのようなことがあって、森先生は、平成6(1994)年ころから、三宅省三弁護士の引き立てのもと、毎年、IPBAに参加するようになっていたのであって、森先生出張の旅行の行く先であった、シンガポール、ニュージーランドのオークランド、米国のサンフランシスコというのは、私と個人的に旅行したというわけではなく、いずれもIPBAの倒産法委員会に参加するという、森先生自身の仕事上の必要のための出張のことで、かつ日本の他の弁護士も参加したグループ旅行です。
なお、森先生は、この費用が森先生の自己負担であったことに納得がいっていないようですが、本件事務所では、弁護士は、自らの業務拡大(プロモーション)活動にかかる経費は国際会議出張を含め自らの経費によりまかなわれるルールで、森先生が、パートナーであった期間(平成7(1995)年以降)について、IPBA参加費用を自己負担するのは、そもそも当然至極のことです。本件事務所からは、毎年、IPBAに複数のパートナー弁護士が参加していましたが、いずれも自らの経費負担により参加しています。また平成6(1994)年については、森先生はパートナーになる前年でしたが、アソシエートに関しては、本件事務所が経費を負担して派遣するのは留学前の若手1名のみであったので(有望な留学前の若手を将来の外国人弁護士との付合いの訓練のために海外に行かせるといった意味合い出会ったため)、留学も終えてパートナー目前の森先生の今後の業務拡大活動のために、自ら望んで参加する場合に、事務所による費用負担がなかったのは、これも当然のことといえます(本件事務所としては、アソシエートである森先生が、国際会議参加の間、事務所の仕事を行わないことを許容するということを持って、森先生の業務拡大活動に協力していたことになります)。この年、本件事務所から、パートナーとしては、私と小泉淑子弁護士がIPBAに参加し(これらのパートナーはそれぞれ参加費用を自己負担)、アソシエートとして本件事務所が経費負担して参加させたのは藤本欣伸弁護士で、森先生は前述したように三宅省三先生の引立てのもとIPBAの倒産法委員会に出席するために自らの費用負担で参加したものと思われます。なお、森先生は平成7(1995)年以降は、本件事務所のパートナーで、シニアアソシエート時代を含め、本件事務所の弁護士報酬体系ではこれらの費用の負担はできたはずです。
(3)森先生が、本訴で負担について問題としている件(案件がらみの調停での解決金)についても説明します。
平成8(1996)年、クライアント(A社)が発行体となって、日本の証券会社のスイス法人が引受証券会社となり、日本の証券会社が斡旋をして、社債発行、引受をする案件がありました。私はA社の過去の外債案件で代理人をつとめていて、その件も本件事務所が受任できました。しかし森先生がたまたま斡旋証券会社に親しい担当者がいて、私が都合がつかない日を富山でのキックオフミーティングに決めたため私は出席できず、以後森先生が、案件を遂行しました。
しかし、最終的な契約条項が決定するまでの間にスイスフラン建転換社債の株式への転換条項が変更され、その変更によって最終的に森先生が確認した条件との間で齟齬が生じ(整合がとれず)、そのため、平成10(1998)年夏ごろになって、日本の証券会社側がその見落としについて、見落とした本人である森先生と、作業はしていないものの代理人として当該案件に名前が入っていた私の責任を追及してきました。
森先生は、日本の証券会社からの見落としの指摘に対して、当初は、ファックス書面で修正を指示したので見落としはなかったという弁解をしていたのですが、日本の証券会社から「当該書面は真正のものであるとは到底考えられません」との回答を受けて(すなわち、諸事情から考えて、後からそのような書面をでっち上げたとしか思えないとの指摘を受けたということです)、弁解を撤回しました。勿論、もともと、金融のプロであれば、自分が修正指示したとしても正式契約書などにその修正が反映されていなければ見落としのミスとなることは否定できません。
そこでA社が日本の証券会社に対して申し立てた調停において、日本の証券会社は森先生と私を利害関係人としました。当初はA社も日本の証券会社も森先生が前述のいわば稚拙な弁解で責任を逃れようとしたもので全額森先生と私で負担すべきとの硬い態度でした。しかし私と私の代理人を勤めた藤本欣伸弁護士が誠意を持って交渉した結果、日本の証券会社は顧客であるA社が損害を被ったのは事実であり、それが子会社のスイス法人と森先生との間の交信過程でのミスであることを認め、平成12(2000)年3月に、A社に対して、解決金名目で、日本の証券会社は4億3000万円近く、そして利害関係人森先生と私とで3500万円を支払うという調停が成立しました。この負担金額は日本の証券会社が受領した斡旋報酬金額と、本件事務所の受領した弁護士報酬金額を按分したもので、きわめて公平な調停結果でしたは、調停成立時には、森先生は、後述する事情で事務所を辞めていましたが、代理人として森先生の司法研修所時代の教官である丸山利明弁護士をたて、最終的に3500万円の半額である1750万円(但し後述するように、うち1000万円については保険金により補填したため実質負担は750万円)を負担しました。
この750万円の実質負担について、森先生は本件訴訟で納得がいっていないかのような主張をしていますが、森先生は、前述の稚拙な弁解を撤回したあとは、自分に過失があったことを前提にして弁護士賠償責任保険の請求をし、また、自らが本件で「失敗」を犯したことを認め、対応策について主導的に検討していたのであって、調停成立にあたっては、その1週間程度前である平成12(2000)年3月25日(土曜日)に、私の代理人の藤本弁護士に対して、「3500万円払うのが落ち着きどころと考え直しました」「火曜日には3500万円の線で妥結してください」「月曜にだいたい先が見えた場合には、私は調停期日を欠席します。丸山先生に一任していますし、もともと大事な会合と重なっていますので」「結局江尻先生にはご迷惑をかけてしまい、口惜しいです。」と書き送っていたのであって(乙10 メール)、自分に責任があったことや金額的にも妥当なところであると納得して、調停成立に至ったことが明らかです。
なお、この、支払われる保険金を森先生は1000万円と見込んでいたようですが、その後の藤本弁護士の尽力により、保険金は2000万円出ることになり、保険金補填後の最終的負担は、森先生と私とも750万円ずつにおさまりました。
3 本件事務所の退所
森先生は、上述の調停成立の前年の平成11(1999)年8月に本件事務所を退所しましたが、退職の事情は、外聞の良い話ではないので外には広まっていませんが、森先生が破産管財人となった複数の破産事件において、裁判所から支払われた管財人報酬について、報酬決定書を改ざんしたコピーを作ったり、経費を偽り、本件事務所に報告する売上・経費(*各案件からの売上とそれに対応する経費を事務所に報告する必要があった)を誤魔化し、あるいは誤魔化そうとしたためです。当時、森先生は、前述したように三宅省三弁護士の引立て及び口添えにより、その経験年数の割には規模の大きい破産事件を東京地方裁判所破産部から割り当てられていましたが、ご承知のとおり、破産事件は規模が大きいと管財人報酬も多額になりますが、破産事件の規模が大きいわりに、森先生が本件事務所に報告する破産管財人報酬額があまりに安すぎることに不審を抱いた本件事務所のマネージングパートナー(鳥海哲郎弁護士)らが調査したところ、調査対象となった複数の破産事件において、報酬・経費額についての誤魔化しがあったことが発覚しました。私はこの調査には関与していませんが、最も規模の大きいものでは数千万円分の誤魔化しがあったということでした。そこで、マネージングパートナーが、調査の結果をもとに森先生と話をしたところ、森先生も不正の事実を認め、退所勧奨に応じたというのが真相です。このとき私は、マネージングパートナー(鳥海哲郎弁護士)より、パートナー会議で、同弁護士がした調査結果の結果、森先生が売上隠蔽・虚偽経費を認め、責任をとって自発的に退所することとなったと告げられたのであり、私が森先生の処分を同行したというものではありません。
なお、森先生は、本訴で、この時の破産事件を「個人事件」と評してもいるようですが、本件事務所は、収支一体型のパートナーシップであり、事務所に売上を計上しないという意味での「個人事件」は制度上ありえませんでした。本件事務所は、所属パートナー弁護士が弁護士報酬の全てを事務所売上に計上し、後日、費用確定の上で利益を精算する制度で、パートナー相互の信頼関係でなりたっていた事務所でしたので、森先生のした誤魔化しは、他のパートナーに対する裏切りでした。そのため、当時のパートナー会議では、森先生について、本来(組合契約からの)除名であるとか刑事告発ものであるなどの厳しい意見が出ています。なお、パートナー会議には、森先生は出席可能であり、実際、パートナー会議では本人をよんで説明させるべきとの意見もあったのですが、森先生はパートナー会議を欠席していました(乙20の1、2がそのときのパートナー会議録です。)
以上が、森先生の本件事務所退所の事情です。
第3 森先生の本件事務所退所後
上記第2、3の事情で森先生は本件事務所を退所していましたが、上記第2、2(3)で述べたように、退所時にはまだA社・日本の証券会社関連の紛争が終わっていなかったので(調停成立前)、その関係で森先生とはつながりがありましたし、森先生には、事件をまわしてあげたり、就職先の相談に乗ったりすることもありました。
しかし、私は森先生に対して、森先生保有マンションの家賃や管理費を支払う約束をしたことは一切ありません。森先生退所後に私は森先生に送金をしたとすれば、私が紹介した案件で森先生が弁護士費用を取りはぐれたりした場合は多少の埋め合わせをしたこともあったので、そのようなものであったのではないかと思います。
また、森先生に対して、森先生と一緒に暮らすための物件を探していると言ったこともありません。森先生のいう、「逗子の物件」というのは、私が、平成15(2003)年前後に妻とともに釣りに行ける別荘を、江の島、逗子、熱海あたりで数年にわたって探していたことがあったので(結局、購入しませんでした)、その話を当時私が森先生にしたか、あるいは森先生が他からの噂で聞いたのではないかと思います。そもそも両親と同居していた森先生が釣り用の別荘に住めるわけはありません。
また私は、森先生が購入したという「文京区の土地」については、何も知りませんし、もちろん私がそこに住むという話をしたことも全くありません。森先生が親と同居することにしたという話を聞いたころだったかに、何かのついでの機会に土地を見た記憶はありますが、それが実際に森先生が家を建てたか土地をは知りません。当然のことですが、土地の所有者や仲介者にあったことはありません。
森先生退所後数年もすると、私が紹介した複数の事務所でも人間関係がうまくいかないようで退職し、森先生に会う機会自体相当少なくなっていたと思います。
第4 突然の請求と和解
平成24(2012)年7月、森先生は、私との関係「終了」にあたっての「解決」として、金5000万円の貸付を要求してきました。
私は、本当に吃驚しましたが、資金繰りに困ったとのことでした。私はこれまでも親戚や知人と一切金銭の賃借関係を持たないようにしてきていて、本当に困った人には贈与をしました。そこで2人だけで会うと後日色々と虚偽の事実をでっちあげられることを恐れ、私の代理人に堀内国広弁護士を指名し、同弁護士を通じて、森先生がどのような状態にあるかを聞いてもらい、困っているなら説明できる範囲で経済的支援をすることはかまわないが、「今後、一切、経済的支援の要請や要求をしないこと」を条件にする意思を示してもらったところ、森先生は、1700万円を「和解金として」提示してくれればその場で合意するとの意思を知らせてきました。そこで、代理人堀内国広弁護士によって両者間の一切の関係を清算しその後森先生は私に対して何らの請求をしないという和解を成立させ、同年7月26日に1700万円を振込送金して支払いました。このときの詳しい事情は、堀内国広弁護士作成の陳述書に記載されているとおりです。
この和解成立後は、その数日後に森弁護士から、「入金確認の件」というFAXがあったのを最後に、森弁護士からは何の請求もありませんでした。
第5 突然の再請求
ところが、和解成立から半年以上経った翌年の平成25年2月25日になって、森弁護士は秋田一恵弁護士名で内容証明を送ってきて、同年6月13日(調停申込書は6月12日付)には調停を申し立てたのです。調停の趣旨は、婚約不履行等に基づく慰謝料として金2億5000万円を支払うというものでした。この調停は、同年9月25日不調となり、さらにまた半年以上経ってから、森先生が、平成26年4月15日付訴状で訴訟を起こしたのが本訴です。
以上